私カズマキカクは、
お客様の
「うまく言葉にできない想いや考えを、“目に見える形” に整えて届けること。」

それを一番大切にして、デザインの仕事をしています。
イベントの案内、ロゴ、イラスト、パンフレット、WEBなど、
さまざまな依頼をいただきますが、
どの仕事も最初は「伝えたいことが整理しきれていない」ところから始まります。
私はまず、お話を丁寧に伺いながら、
その中にある“本当に大切にしていること”を一緒に見つけます。
そして、それを紙や図、言葉、イラストとしてやわらかく外に出すことで、
お客さまの思いが自然に伝わる形へと育てていきます。
情報がまとまらない
文章にしづらい
コンセプトが曖昧
何から始めていいか分からない
そんな状態でも大丈夫です。
むしろ、そういうタイミングでお声がけいただくことが多いです。
デザインは“飾る”のではなく、
あなたの想いが誰かに届くための準備をする仕事だと考えています。
伝えたいことが「形」になった瞬間、
そのデザインは一人歩きを始めて、
あなたの代わりに多くの人をつなげてくれます。
地域の行事から文化・教育分野のお仕事まで、
これまで多くの場でお手伝いをしてきました。
もしよければ、あなたの中にある想いや計画を、
いっしょに“外に出す”ところから始めてみませんか。

プロフィール
1974
福島県南相馬市に生まれる。
海から約200メートル、田んぼのど真ん中の家で育つ。

1992
立命館大学国際関係学部に入学。しかしクラスにうまくなじめず不登校気味に。代わりに祇園のクラブでのバイトにあけくれ、一年で留年確定。
美術研究部に入る。
1997
大学はなんとか卒業したものの、もっと芸術のことを勉強したいとの思いが強く、何故か美大の予備校に通い始める。毎日デッサンにいそしむが、目標としていた京都市芸の受験に2年連続失敗。胃に穴が開いて入院。京都芸術短期大学の洋画コースに入学。予備校の先生からはデザインの方向を進められていたが、全くピンときていなかったので洋画に行く。でも性格がデザイン人間みたいです。。あの先生は正しかったと思う今日この頃。
1998
洋画コースに在席しながら、これまた他学部の技を盗みつつ、シルクスクリーンにも手を出す(勿論平面美術も大好き)。この頃から印刷に対する興味が芽生える。友達から譲り受けた古いMacを触りだし「DTP」という言葉を覚える。ちなみにDTMもやってました。
2001
芸短卒業後卒業アルバムの出版会社に入るも、色調のことで社長とトラブルになり、半年で退社。郵便局のアルバイトをしながら1年半食いつなぐ。バンド活動もしていたが、仲間に自分の思いがうまく伝えられず挫折。この頃住んでいた「家賃一万円アパート」は自分の中では伝説。
2003
大阪の印刷会社に入社。画像処理の部署でフォトショップの技術に磨きをかける。他部署の技を盗みながら、グラフィックデザインを独学で学び始める。

※カズマが就職活動をしていた時の印刷業界は、アナログからデジタルへの移行期で、先輩社員も全て辞めていた状態。自分と残った人間達で新しいやり方を作らなけばならなかった感じ。だから事故も残業もめっちゃ多かった。この辺の経験がカズマキカクのDIYマインドの基礎になっている。自分で環境を作るのは基本だと今でも思う。
2006
東京から戻ってきた友人と「クロッキー会」を結成。毎月1回、自宅にて人物クロッキーの練習会を行う。同時に「室内流しそうめん」の研究を始める。この時期に人物の描き方を研究できたのは、その後の人生で大きくやくになっている。
2008
当時熱中していたスケートボードで転倒し足を骨折。30過ぎてやるもんじゃないなと。でも入院中によく見舞いにきてくれた現奥さんと交際スタート。翌年結婚。
2011
東日本大震災にて実家が流される。この辺は将来絵本にしようと思う(ほんまかい)。
2012年
「ニンジャム研究所」を発足。オリジナル忍者団体。現在活動休止中。
2013年
印刷会社を退社。1歳の娘の育児をしながら、独立への準備を進める。でもデザイン関係の仕事は全く無く、親戚から引きついだネットショップの商品データ作成の仕事などもしていた。
2014年
カズマキカクとして事業開始。
流しそうめんのイベントでスズキキヨシ氏、武田みどりさんと知り合い、ダウン症啓発イベント「バディウォーク@京都」アートディレクションに関わる。

2020年
御所の杜保育園の造形プログラムに講師として参加。

2022年
10キロ痩せました。

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